「障がいのある人の生涯スポーツを」

2000年6月、シーガルサッカークラブの中に新たなカテゴリーとして誕生したF.I.D.ドリーム。

当時はハンディキャップ部門として設立。

2010年4月に「F.I.D.ドリーム」へとチーム名を変更。

2018年10月にF.I.D.ドリームU-15が始動。

 

クラブの中に、知的障がい・発達障がいのある人たちを対象としたカテゴリーを設立した思いとは…。

シーガルサッカークラブ代表

智田 季之

 

「ドリーム立ち上げの思いと願い」

 

 私の1歳年下の従弟は重度の自閉症でした。その兄が私と同じ年で私も兄弟のように過ごしていたので、小さなころから“障がい児”に対して何の違和感も抵抗感もありませんでした。

 当時は今と違い、偏見が多かったり、障がい児をあまり外に連れて歩いたりはしなかった時代だったと思いますが、叔母はどこへでも連れて歩いていました。私も一緒にいることが多かったので、そんな叔母を尊敬していました。

 私が結婚相手に選んだ女性には、すでに2人の男のお子さんがいましたが、次男には障がいがありました。私が何の躊躇もなく結婚を決められたのは、少なからず従弟と叔母の影響があったのだろうと思います。

 そして、私が自分の運営するクラブチームの中に、このドリームというチームを立ち上げたのもやはり従弟や次男の存在があったからこそだと思っています。

 1996年12月、あるきっかけで長男の同級生や下級生たちを対象とするジュニアサッカーチームをお父様お母様たちと立ち上げることになりました。

 当時、知的障がいをもつ次男(4年生)も同じチームに所属させていただきました。フットサルの大会に出場していた時、どこかみんなの足手まといになってしまっていないかと思われる光景を目の当たりにしました。

 しかし、周りの上級生たちは邪魔者扱いすることなく優しく接し、かばってくれていました。当然、息子がいることで試合の結果にも影響を及ぼしますので、そんな上級生たちを見ているうちにとっても不憫に思うようになりました。

 そして、どんなことでも「一緒に」と考える必要はないのかなと…次男には次男の居心地のよい場所がきっとあるはずだと考えるようになりました。そんな時、「知的障がい児・者のためのサッカー教室」のチラシを目にしました。『知的障がい者人権セミナー』で配られていたものです。コンサドーレ札幌の初代監督であった高橋氏率いる『北海道サッカーアカデミー』に、ある地域の知的障がい児の親の会が指導を依頼して実現したサッカー教室でした。

 私は早速、次男を連れて見学に行き、入会を決めました。週に1回程度約1年間通い、私もボランティアスタッフに加わってほかの子たちの手を引いていろいろと体験してみました。そして、「これなら自分のクラブでもきっとできる」と確信し、次男の学校のクラスメイトや他校の特別支援学級の子たちにも呼び掛けていただき、2000年6月にハンディキャップ部門として現在のF.I.D.ドリームとなる“知的障がい児のためのチームを立ち上げました。

 障がいのある子どもたちにもサッカーの楽しさを伝え、試合に出て活躍する機会を与えてあげたいという思いだけで地道に活動してきましたが、2017年4月に松本コーチにドリームチームの監督に就任していただいてから内容も充実し、徐々に規模が拡大して小学生・中学生・高校生・社会人で構成できるようになりました。

 私たちシーガルサッカークラブの特徴は、このドリームチームがU-12(ジュニア)・U-15(ジュニアユース)・レディースといったほかのカテゴリーと同等の立場で、仲間として存在しているところです。

 今後より一層この融合を確立させ、地域で模範となるようなクラブにしていきたいと強く願っております。

 

F.I.D.ドリーム 監督

松本 鴻太

 

「障がいのある人たちの生涯スポーツを」

 

 私がF.I.D.ドリームに出会ったのは2017年4月のことでした。就職を機に札幌で生活を始めると同時に、もともと興味があった“障がい者スポーツ”の指導に関わることができる場所はないか、インターネットで検索していました。すると一つの記事が目に留まりました。

 

「とあるコーチが少年サッカーチームにハンディキャップ部門を作った理由」

 

 そこにはシーガルサッカークラブのF.I.D.ドリームの立ち上げに至る経緯や智田コーチの「なくしちゃいけない」という熱い思いが書かれていました。

 記事を読み終えた私はすぐにクラブのホームページから問い合わせ、F.I.D.ドリームの練習の見学に行かせていただけることになりました。札幌の自宅から石狩まで約10kmの道のりを20インチの小さな折りたたみ自転車でひたすらこぎ続けたのはいい思い出です。

 少し話を戻して、なぜ私が障がい者スポーツに興味を持っていたかというと、智田コーチと同じで私の1歳年下の従弟に障がいがあり、小さいころから自然に一緒にすごす時間があったことが始まりなのかなと感じております。その後中学高校大学と進路を進めていく中でも、障がいのある子どもたちのサッカースクールにボランティアで行ってみたり、視覚障がい者マラソンの伴走ボランティアをやってみたり、大学では施設の利用者を大学の体育館に招いて一緒に体を動かしたり、ろう者サッカーの合宿に参加させてもらったり…。自分でもよくわかりませんが、常にどこかで自分から関わる機会を求めていたように思います。

 そして、社会人になってもその機会を多い求めて1時間近くかけてようやくたどり着いた紅南小学校。ドリームの選手たちが皆さん少し緊張した面持ちながら笑顔で受け入れてくれたのがとても印象に残っています。その時は7,8人参加人数だったと記憶しています。急遽私が指導することになり、皆さんと本当に心の底から楽しんだ、そんな時間を過ごさせてもらいました。

 障がいのある人たちも、生涯自分の好きなスポーツを続けることができる場所。素晴らしいな、これをもっと広げていきたい、このクラブで障がいのある人もそうでない人もみんなでサッカーやフットサルを楽しめる場所を突くて行きたい。そんな思いを智田コーチはじめ選手の皆さんにご理解をいただき、監督という立場でチームに携わらせていただくことになりました。

 ドリームの監督として4年目を迎える今、ドリームには20人を超えるメンバーが所属し、U-15とOV-16とカテゴリーを分けて活動できるまで規模が拡大しています。冒頭で紹介した記事では、もう練習に参加していないと紹介されている智田涼さんはマネージャーとして活動に参加しています。

 シーガルサッカークラブという一つのクラブにU-12,U-15,レディース、ドリームと様々なカテゴリーが存在し、そのカテゴリー同士がより近くで関わりあう機会が多くある、そんなインクルーシブ環境はシーガルならではです。今ではU-15の選手たちが自主的にドリームの練習をサポートしてくれています。

 障がいのある人たちだけのスポーツクラブやチームは多く存在しています。しかし、シーガルのようなチームは多くありません。この環境がドリームのメンバーはもちろん、ほかカテゴリーのメンバーにも少なからずいい影響を与えてくれることでしょう。

 石狩から全国に自信をもって発信していけるよう、選手スタッフ共に様々なことに挑戦していきたいと考えております。

 

 「障がいのある人たちの生涯スポーツを」みんなで作り上げていきましょう。

 

「なくしちゃいけない」

 

私もそう強く思います。